私という日本人
一番かわゆく思われるポケモンは何かと訪ねられれば、「矢張り、それはピカチュウでしょう」と、そう答えるしかない。
また、十代からシェイクスピアを詠み唄い、ジャームッシュの映像に感嘆し、ラフマニノフやプロコフィエフでテンションをあげあげし、ラリプナやシガーロスでのんのんびよりしていたが、ふと加藤茶がリアルにボケていたり、ケチャップや醤油で味付けされた調理物を味わったりすると、なんとなくノスタルジーに耽ることを思いだし、「やっぱり日本人ならモスバーガーだよなー」と、京都のフレッシュネスバーガーで詠嘆してしまう。
『自分が何某であるかということは、当人の思った以上に、「いかに自分の、自らが分けられた、与えられたものであるか」ということを忘れてはならない』というような、教訓じみた天啓は、どうせ4時間後に忘れるに決まってる呑んだくれの時分に訪れるものである。
なんにしても、ピカチューのかわいさは孫子の代まで伝えてゆきたいものだ。