李斎庵

どういう訳か田舎暮らしをすることになってしまった

左利きのキープレフタが右翼について書いてみる。

 婚約者が「李斎庵さんブログ書かないのん?」と切なげ言ったので、私こと希代のキープレフティング優良ドライバがなにやら書くことにした。

 

 昨今私が気にするのは、なんだかんだ強い女子サッカー日本代表のW杯、毎夏盛り上がる沖縄近辺とそれに呼応するように足下救われる自民党ウィンブルドンを棄権した錦織選手、『響け!ユーフォニアム』というアニメ、そしてなによりイチロー選手の飽くなき冒険と活躍である。

 

 このなかで最も題材として利便性に優れる、政治のはなしだけれども、正直、私は政治の政の字も毛筆で上手く書けない割にあーだこーだ思っていて、まあはっきり言ってネトウヨなんだけれども、ネトウヨとはすなわち、新聞も読めない、本屋の新潮コーナーで中島敦の立ち読みもしたことすらない、村上春樹の一つも読んだことのない愚蒙の輩の総称である。

 

 もっとも、諸君は年代によって、「俺はねじまき鳥は読んだ!」と憤るだろう、ちなみに「羊」は私には分からない、まさに先史のことである。

 ここまでいうと私が村上春樹だいきらいひねくれとかおもっちゃうかもだけど、はっきりいって、私の青春は村上春樹と共にあった。ほんとうに、なんともいえないよね。ぱーって感じ。村上春樹を読むと、みんなあほになっちゃんだー(^^)

 

 まじきもい、もっとふつうに部活に熱中したかったなー(^^)(^^)(^^)

 

 まあまあそこでまず思うのは、まず私は、新聞はとてもつまらないと思う。

 

 いつもいつも事実の羅列ばかりで、頑張る青少年を、なにせ公共性の高いメディアだからおいそれと褒め称えるでもないとばかりにちょろっと紹介し、公共的に人気の高い残虐事件・大災害は超クローズアップ。社是に適わない現象はこれとばかりに『社説』をクローズアップし、炎上マーケティングを虎視眈々と狙っている。。

 

 正味、特に地方の新聞は情けない、何かを言っているようで、まったくなにをも語っていない。

 

 こんなくそくだらない駄文を垂れ流すくらいなら、毎日二つ、合計一六〇〇gのカメラ&レンズに加え、10kgは下らない三脚や脚立を抱え現場を駆けずり回っていたほうが、よっぽど『真実』に近づけるというものではないのだろうか。もっとも、地方紙では記者とカメラマンは同一なのだが。

 

 ていうか、ちょいまてや。おまん、なんなん? 阿呆か馬鹿か、それともあれですか、都会的オシャレインリゲンツァめざしたけど諦めて、田舎でインリゲンツァするそんなクチですか。アホ言うなし。お前の孤独埋めるためにひとは田舎で営んでるちゃうんねんで。とも思う。

 

 はっきりいって、もうちょっと、具体的には朝日新聞か沖縄タイムズくらいエッヂィにいってくれないと、事実か捏造か、あるいは何らかの策略かとも判断がつかないので困る。それ未満の五流ノンフィクションで世間を知り、理知的に判断できていると思っているような風になっている人は、とりあえず村上春樹か、あるいは最近流行りらしいフランク・ゼッカでも聴いていればいい。それで自足してくれるようなひとならば、はきりいって、どうにでもなる。

 

 「自分が何を言っているかわかっていないということをわかっていないということは悲しむべきことである」

 というのは、仏蘭西共和国国葬第一号の詩人であり思想家、ジッドのマブダチ、ポールアンブロワーズヴァレリーが自著において描いた思想だが、まあ私は、そこまでは思わないし、思えもしない。そもそも、私は、何かしらを期待するように教育されていない。もっといえば、希望というものは、いったい、どういったものなのかもよくわからない。先達がここまでに示したものは、野党が与党に浴びせる詭弁か、あるいは政治的暴力かの二択である。

 

 関係ないが、最近一番胸くそ悪かったのが、芸大卒だかなんだか、いかに個性的なんだかしらんが、私のような優良ドライバをもって、はりきって「っはっはーん、そう。それで? まじうけるわー」とかいったわけわからん浅黒の土人である。

 

 こいつにこいつ固有の名誉ってなんかあんのかなって思った けど、まあ、どうでもいいので黙っておいた。むかついたけど。馬鹿にするタネを炯々と探す眼には辟易としたけれど。まあそれはわかるからどうでもないけど。

 

 私が宣言したいのは、ただ一点。

「自分が何言っているのかわかってるかわかってから何か言え」

 ということ。

 

 この文章は9時間後に筆者の記憶から抹消されます。ありがちおごじあました。