李斎庵

どういう訳か田舎暮らしをすることになってしまった

雪やばい

『自然』という『語』をもって『何』を思い浮かべるか。

 いうまでもなく、そういわれて思い浮かべるものは『自然』である。それは『自然』であって、他のなにものでもない。

 

 というのも、そうして(『自然という語から』)われわれが『目に浮かべるもの(ようやく想像するもの)』は、『鹿児島県熊毛郡にある屋久島町の原生林』であり、『近所の林道沿いに眺める森林』であり、あるいは『肉食獣が草食獣を狩る姿』等にほかならない。

 

『自然』は多くの場合、『人工』の対称として捉えられていて、ありふれてひどい場合には、『人工』を『都会』と考えるひとびとが、『自然』を『田舎』と同じものだと考え化学肥料の存在に驚いたりする。

 

 ろころで私も驚いたのだが、『自然』を英訳すると『Let it go』となる。

 重ねて言うが、『レリゴー』となる。

『BEじゃん?』という人は、気持ちはわかるが、もうちょっと勉強しよう。

 

 閑話休題

 

 田舎にとっての獣害とか雪とかいうものは、都会にとっての遅延とか雪というものとなんらかわりのない『自然なもの』だと思う。

 猪肉食うのも自然。5分歩けばコンビニあるのも自然。都会人が雪道運転へたで25km/hで走るのも自然なら、田舎人が中野の5叉路で戸惑うのも自然。

 

 なにもどうせかわりないのに、どうして俺は生きているんだろうと思うのか仕方がないことも、自然という他ないなあ。