李斎庵

どういう訳か田舎暮らしをすることになってしまった

安いプライドを取り戻すべくカメラを買ったら

あっさりと自信というべきものが取り戻せた。それはむしろ、自負とでもいうべきものだった。

 

カメラはレンズはと、限りしかないような資産との兼ね合い上、ただでさえ変態なのに変態的リサーチを重ねる者がまず辿り着くところがある。

 

賢明な紳士淑女には言うまでもない。

 

それは『価格.com』のレビューページである。

 

そこにはカメラの精霊たちの言霊が、文系的に言って混沌としていて、理系的に言ってトーラス状になっていて、政治哲学(マイケル・サンデル)的に言って「正義とは何か?」といったものが実存する、知ろうとすればするほど深みに嵌る、まさにこの世の地獄であった。

 

しかし私は、驚くべきことに、この地獄沼にほとんど足を取られずに飄々と生還したのである。

車でお邪魔した自宅から30km離れたところで「呑め!」といわれて、「え。でも今日車なんでs」「なにおー! 呑め! 呑もう! 泊まってけ!」「う〜ん、(困ったなあ)はい!」というくらいに意志薄弱なこの私が、である。

 

有り体に言って、そこにはこんなことが書かれている、ということを一括弧にまとめると、『僕はプロじゃないので分かりませんが、この機材のスペックはプロ使用に十分耐えられます。もちろん、プロがその絶対的かつ繊細な手腕で使いこなしてこその話ですが。まあ資金があるなら買うべきでしょう。僕はプロよりいいレンズもってます』というようなことである。くそうらやましい。

 

2時間の特訓後にブライダルや映画のスチルに放り出されたり、○○堂の広告撮影の際にレンズフィルタをティッシュで拭きながらのプロとしての仕事を一応経験した身からすると、プロが持つものは、なによりもまず、写され現れ見られる真という意味での写真への誠実さであって『あの一瞬を収めること』とか『繊細な表現をすること』とかいうものはその下に勝手に属するものだということ。

 

さっき10年以上前の写真を見ていたのだけれども、今持っている技術がそこにあっても再現できない写真で、というかむしろぶつぶつした写真だからよくて、あきた